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【近畿】京都旅行(京都御所、金閣寺、上賀茂神社、下鴨神社、銀閣寺)(2009年11月3日)

姫路での仕事の後なので、宿泊費のみの負担ということもあり、この機会を逃すまいと、一日休暇をとり、一人で京都を観光に出かけた。ちょうど天皇陛下即位20年記念ということで京都御所の特別公開をしていたのが、嬉しかった。

京都の観光は基本的に一日500円の市バスフリーチケットで十分だった。ただ、道が混んでいて遅れるのは難点。帰りの新幹線に2分間に合わず、自由席で帰ることになった。

写真で見る京都旅行(京都御所、金閣寺、上賀茂神社、下鴨神社、銀閣寺)

京都御所 京都御所 京都御所
朝一番で天皇陛下即位20年記念ということで特別公開されている京都御所に向かう。9時から開門とのことだが、人がたくさん並んでいたためかちょっと早めに開門。京都御所は14世紀以来、500年以上も皇居であったところで、建物はおおむね安政2年(1855年)の再建ですが、平安時代を始めとする様式が展開し、伝統的な内裏の世界を見ることができる。今回は特別公開ということもあり、人がたくさんいる。写真は御車寄を通過後の諸大夫の間。正式に参内した者の控えの間で、身分の上下によって異なった部屋に控えた。身分の高い順に「虎の間」「鶴の間」「桜の間」に控えた。 諸大夫の間「鶴の間」(狩野永岳筆)。 新御車寄。大正4年(1915年)の大正天皇の即位礼に際し建てられたもので、大正以後の天皇皇后両陛下の玄関。
京都御所 京都御所 京都御所
建春門。京都御所の門はみんなこんな感じで立派。 帽額。即位式の折、紫宸殿南面の長押上にかける幕で、全長約27.5m、幅1.56mあります。大正天皇、昭和天皇の即位式に使用されました。 威儀物。即位の礼にあたって,儀式の威儀を整えるために庭上において捧持される太刀(たち)・弓(ゆみ)・胡(やなぐい)・桙(ほこ)・楯(たて)。今上陛下の即位の礼で捧持されたもの。
京都御所 京都御所 京都御所
紫宸殿。即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿。大正天皇・昭和天皇の即位礼もここで行われた。中央に天皇の御座「高御座」、その東に皇后の御座「御帳台」が置かれている。向かって右側に「左近の桜」、左側に「右近の橘」が植えられている。写真に映っているのが左近の桜。 紫宸殿の中央、天皇の御座「高御座」 軟障(ぜじょう)。大嘗祭後に行われる大饗の儀において天皇皇后両陛下の御座の後ろに掛けられる大きな垂れ絹。大正天皇・昭和天皇・今上陛下の即位に際して使用されたもの。
京都御所 京都御所 京都御所
小御所と御学問所の間の蹴鞠の庭。蹴鞠の庭と聞くだけで、貴族文化を感じます。 御内庭。曲折した遣り水を流して、土橋や石橋を架けた趣向を凝らした庭で、奥に茶室を構えている。うん、さすが。 御常御殿。室町時代以降、天皇が日常のお住まいとして使用された御殿で、内部は15室ある。入母屋桧川葺の書院造りの建物。
京都御所 京都御所 京都御所
御常御殿。 皇后宮常御殿。16世紀の終わりごろから、女御あるいは皇后の日常のお住まいとして造営された御殿で、内部は13室ある。入母屋桧川葺の書院造りの建物。普段は公開されていないが、今回は特別公開。 玄輝門。承明門など紫宸殿を囲む回廊の各門と同じように、古制に則って造られた本瓦葺の門で、女御入内の儀式の際に用いられた。
京都御所 金閣寺 金閣寺
若宮・姫宮御殿。皇子・皇女の御殿で、明治天皇がご幼少の頃にお住まいになられた。 入口の近くにある鐘楼。お金を払えば一突きすることが出来る。 お釈迦様のお骨をまつった舎利殿「金閣」が特に有名な為、金閣寺とよばれていますが、正しくは「鹿苑寺」と言い、臨済宗相国寺派の禅寺です。この地には、鎌倉時代に西園寺公経の別荘北山第がありましたが、足利3代将軍義満が大変気に入り、応永4年(1397年)に西園寺家から譲り受け、山荘北山殿を造りました。金閣寺を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したと言われています。この時代の文化を北山文化と言います。金閣の前にある鏡湖地を中心とした庭園には、当時の大名がきそって石を献納してその名がつけられた畠山石、赤松石、細川石などの名石が配されています。
金閣寺 金閣寺 金閣寺
2層と3層は、漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹の薄い板を何枚も重ねたこけら葺で、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。1層は寝殿造で法水院、2層は武家造で潮音洞とよばれています。3層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物と言えます。 金閣を別角度から。 金閣を別角度から。
金閣寺 金閣寺 金閣寺
金閣の後を進むと、義満がお茶の水に使ったと伝えられる「銀河泉」、手を清めた「厳下水」があります。写真は「厳下水」 さらに進むと「龍門の滝」があります。鯉が滝を登ると龍になると言われる中国の故事「登竜門」に因んだ「鯉魚石」が置かれています。 夕佳亭(せっかてい)。江戸時代の茶道家・金森宗和が好んだ数寄屋造りの茶席で、夕日に映える金閣が殊に佳いということから夕佳亭と名付けられた。正面の床柱が有名な「南天の床柱」です。茶席の前の石灯籠と富士形の手水鉢は、慈照寺の「銀閣」を建てた足利8代将軍義政が愛用したものと言われています。
上賀茂神社 上賀茂神社 上賀茂神社
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と呼ばれているが正式名称は賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)です。天武天皇7年(678年)に創建されたとされる非常に古い神社。ほとんんど全ての建物が重要文化財に指定されている。賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。一の鳥居と二の鳥居の間の参道の両側の芝生の広場で着物の会?が行われていて着物の人がものすごく大勢いた。また、神社では2組ほど結婚式をやっていた。 上賀茂神社。楽屋 上賀茂神社。土舎
上賀茂神社 上賀茂神社 下鴨神社
上賀茂神社。細殿。前には立砂。「立砂」は砂をきれいな円錐形に盛り上げたものであるが、これは神が降臨したといわれる「神山」をかたどったものといわれ、憑代(よりしろ)即ち、神が招き寄せられて乗り移るものとされている。 上賀茂神社。樟橋(長寿橋)。そう言われるとわたりたくなります。 下鴨神社。正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)とよびます。京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられているお社というところから下鴨神社と呼ばれています。創祀は紀元前に遡り、崇神天皇七年(B.C.90)には早くも朝廷によって瑞垣が造替され、欽明天皇五年(A.D.544)に賀茂祭(葵まつり)が始められるなど古くから大社としてまつられ、「山城の国一宮」と仰がれてきました。東西の二殿の本殿はともに国宝で、東殿が玉依姫命、西殿が賀茂建角身命です。賀茂建角身命は、古代の京都をひらかれた神様で、山城の国一宮として京都の守護神としてまつられています。平安京が造営されるにあたって成功の祈願が行われて以来、国民の平安をご祈願する神社と定められました。写真は神服殿。
下鴨神社 下鴨神社 下鴨神社
言社(ことしゃ)。「えとの守り神」ともいわれ、中門の内側、幣殿の前に建てられている。写真では三つの社が見えているが全部で七つの小さい社で構成されている。 下鴨神社。神服殿の開かずの間。神服殿は、夏、冬の御神服を奉製する御殿。古代祭祀の神殿様式を伝える貴重な社殿である。近世は、勅使殿、又は着到殿となり古来殿内の一室が行幸のときは、玉座(ぎょくざ)となった。「開(あ)かずの間」として伝えられている。古くから御所が災害にあわれた時、臨時の御座所(ござしょ)と定められている。1863年に、時の天皇、孝明天皇が使用したことから、神官も利用しなければ、一般にも公開されなかったが今回初公開。そして写真もOK!とのことです。実際に100年以上も前の天皇がお使いになった部屋を見れるのは歴史を見ているようで不思議な気分です。 下鴨神社。神服殿の開かずの間の隣の部屋。こちらの部屋も天皇陛下が実際にお使いになったとのこと。
下鴨神社 下鴨神社 下鴨神社
下鴨神社。神服殿の開かずの間の天井だけは細かい格式の高い作りになっている。同じ神服殿の中でも、開かずの間以外はこんなに細かくなかった。 下鴨神社。神服殿から見た「楼門」と「舞殿」。どちらも寛永5年(1624年)に建てられてものとされている。 下鴨神社。大炊殿。神饌(御供えもの)を調理する社殿。平安時代の「鴨社古図」にも描かれている歴史的な建造物で、神社建築の中でこの種の社殿が現存するのは非常にまれで貴重な社殿。
下鴨神社 下鴨神社 下鴨神社
下鴨神社。御井と葵の庭(カリンの庭)。御井の横には「水ごしらえ場」がある。 下鴨神社。展示物。夏目漱石「京に着ける夕」自筆原稿。 下鴨神社。展示物。天皇陛下即位20年記念ということで天皇家ゆかりの品々を展示。
下鴨神社 下鴨神社 下鴨神社
下鴨神社。展示物。葵の御紋入りのカゴ。 下鴨神社。展示物。儀装馬車。宮中での儀式に使用されているものと同型のもので葵祭り前儀、流鏑馬神事、御蔭祭りに使用しているそうです。 下鴨神社。橋殿。
下鴨神社 下鴨神社 下鴨神社
下鴨神社。御手洗社(みたらししゃ)。この池に湧く水の泡を人の形にかたどったのが「みたらし団子」で、ここがそれの発祥の地といわれている。 下鴨神社。相生神社。縁結びの神さま。相生社に向かって左側に、連理の賢木という不思議なご神木があります。2本の木が途中から1本に結ばれています。縁結びの神のお力で結ばれたと言い伝えられています。不思議なことにこの木が枯れると、下鴨神社境内の糺の森に同じように結ばれた木が見つかるのです。現在のご神木も4代目だそうです。この縁結びのご神木は「京の七不思議」の一つとされています。 下鴨神社。さざれ石。小さな石という意味で火山の噴火により石灰石が分離集積して凝固した岩石で、長野県の天然記念物になっています。日本各地には子持ち石とか赤子石など石を神として祀る信仰がたくさんあり、さざれ石は年とともに成長し、岩になると信じられている神霊の宿る石です。
下鴨神社 下鴨神社 下鴨神社
下鴨神社。境内の糺の森(ただすのもり)。古代の山城原野と同じ植生が分布する学術的にも貴重な森林。社殿群とともに世界文化遺産に登録されている。 下鴨神社。河合神社。方丈記の著者、鴨長明は河合神社の神官の家に生まれた。しかし諸事情でこの重職を継ぐことができず、強い厭世感を抱くようになりやがて「方丈記」を書くにいたったとされる。 下鴨神社。河合神社。復元された方丈。
銀閣寺 銀閣寺 銀閣寺
銀閣寺への道。非常に多くのお土産屋が立ち並ぶ。 銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、建立は文明14年(1482)室町幕府八代将軍足利義政公による。銀閣寺は俗称であり正しくは東山慈照寺。東山文化の発祥地であり、日本人の近代的生活文化の発端をなしている。 銀閣寺。本堂襖絵。池大雅(1723~1776)。琴棋書画図。
銀閣寺 銀閣寺 銀閣寺
銀閣寺。東求堂(とうぐどう)。国宝。義政公の持仏堂。一層の入母屋造り、檜皮葺きの現存する最古の書院造り。 銀閣寺。お茶の井。義政公お茶用の湧水 銀閣寺。観音殿(銀閣)。鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、本来観音殿と呼ばれた。二層からなり、一層の心空殿は書院造。二層の潮音閣は、板壁に花頭窓をしつらえて、浅唐戸を設けた唐様仏殿の様式、閣上にある金銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けている。
銀閣寺    
銀閣寺。観音殿(銀閣)。一層は残念ながら改修工事中。    

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